僕がファリシテーションを学んでいる理由
何かを愛するなら、それを与えよ
先日、toieelab の[email protected]でこのようなご質問をいただきました。
ファシリテーターはどのような思いを(志し)持ちながらコースを開催しているのか知りたいです。
僕は、まだまだファシリテーションを初めて3年そこらの「ひよっこ」です。
世の中に人の成長に関わる方がたくさんいる中、「ファシリテーションをするものは、このような志を持つべきだ」と言える自信は全くありませんが、
経験の少ないなりに、僕がファシリテーションをしている思いを書いてみます。
なぜ、ファシリテーションをしているのか?
それは「学ぶ楽しさを思い出して欲しいから」です。
崇高なことを言っていますが、正直少し前の僕は、学ぶことが楽しいとは思えていませんでした。
学ぶことは、社会で認められる何者かになるための「手段」で、もっと言うと「成長するために避けては通れない苦行」だと思っていました。
でも、今はちょっと難しい本を楽しく読めるようになりました。
この「学ぶことに対するイメージが一変した体験」を、少し書いてみようと思います。
久しぶりに夢中になった
それは、3年前に社内で行われた動画のワークショップでのことです。
内容は、退屈な講義ではなく、
・いきなりプロの使う構図を使って撮影してみたり
・テーマを伝えるショートムービをチームで協力して作ったり
とにかく手を動かすワーク中心のものでした。
少し前のことですが、すごく楽しかったことを鮮明に覚えています。
自分が「素人」と言うことを完全に忘れ、まるで映画監督にでもなった気分で思いつくままにチームメンバー指示をしていました。
いつの間にか忘れていた「夢中」と言う感覚でした。
「学ぶ」ことは人生を素晴しくしてくれるものの1つ
ワークショップを受講した後も、誰と比べる訳でもなく動画を作ってはアップしていました。
そんなある日友人に結婚式のプロフィール動画を作って欲しいと言われました。
ただただ楽しくて作っていた動画を、人のために使うことになった瞬間でした。
結婚式当日、素人なりに思考錯誤しながら作った動画は、約50人の視線を浴びながら流されました。
僕は式場の隅っこに立って、不安な気持ちでドキドキしながらその様子を見ていました。
動画の流れている3分間は、誰も何も会話することなく、ただただ映像を見ていました。その時ほど自分の心臓の音が大きく聞こえたことは、今だかつてありません。
動画が終了し、照明がつけられると新郎新婦をはじめ多くの人が感極まって泣いていました。
たくさんの拍手が沸き起こっていました。
その瞬間、人生で数回しか味わったことのない「充実感」を感じました。
動画を学ぶこと自体はもちろんすごく楽しかったですが、学んだことで人の役に立てることはそれ以上に素晴らしいことだと思いました。
この経験を通じて、「何かを学ぶことは自分の人生を素晴らしいものにしてくれるものだ」と心から感じました。
会場の隅から撮影した結婚式会場の風景。今でもあの時の感動は忘れません。
「何かを愛しているなら、それを与えよ」
この言葉はファシリテーションのマインドセットの最後に書いている一文で、音楽を愛してやまないオーケストラ指揮者である イタイ・タルガム さんの言葉です。
僕はこの言葉をすごく気に入っています。
僕は toieelab のワークショップで 「学ぶ楽しさ」を実感しました。そして、学んだことで誰かの役に立てた時の「充実感」を経験しました。
なので、toieelabでファシリテーションをすることを通じて1人でも多くの人に「学ぶことって楽しい」と思ってもらえたらいいなと思っています。
そして、夢中で学んだことを、ぜひ誰かのために使ってみることを強くお勧めいたします。
何かを学ぶことが苦痛に感じている方へ
もし、この文章を読んでいる方の中に「学ぶことが苦痛」に感じている方がいれば伝えたいことがあります。
それは、「学んだことは、どんなことでも必ず誰かの役にたつ」「だから何かを学び始めよう」と言うことです。
学ぶことを苦痛に感じる理由として
- 一通り学び終わらないと、意味がない
と思ってしまうことがあると思います。
原因は、結果にこだわりすぎる社会にあるのか、資格試験やテストなどの評価のシステムにあるのかわかりませんが、「学び終わらないとムダ」と言う雰囲気を感じます。
僕もそう思っていました。
例えば
- 英語を学ぶなら、流暢に話せるようにならないと意味がない
- 本も、全部読み切らないとだめ
- サッカーでプロになれなかったら意味がない
などです。
確かに一流を目指すことは素晴らしいことだとおもいますが、「到達しないと、意味がない」と思うことが、学び始めることを阻害しているのであれば、それは改善すべき考え方だと思います。
なぜなら、「最後まで学べなくても、役にたつことはできるから」です。
僕が初めて結婚式の動画を作った時も、とびきりセンスがあったわけでも、撮影&編集がうまかったわけでもありませんし、プロとしてやったわけでもありません。
それでも、学んだことを使って喜んでもらうことはできました。
英語でも、流暢に話せなくても道を案内することはできるだろうし、本だって数ページから学びとったことで、十分仕事の役に立てることはできます。
そして、その時に得られる充実感はおそらく資格をとったときよりも、大きいと思います。
学びきれないことに対する不安が、好奇心をせき止めてしまうことは、本当にもったいないです。
ぜひ、少しでも好奇心がわくものがあれば、勇気を持って一歩踏み出してみてはいかがでしょうか?
# 追伸 :
質問をしてくださった M さんへ
この質問がきっかけで、ファシリテーションをしている意味をあらためて考えることができました。ありがとうございました。
ドラッカーが「意味を与えることが教育だ」と言っておりますが、「あー、意味を考えることはやっぱり重要だな」と実感しております。
また、ファシリテーションについて以外でも、共に色々お話できることを楽しみにしています。
toiee Lab 中村 颯介