ファシリテーション・レジュメ

子供が持つ「学ぶ力」を育てるために

こんにちは。
toiee Lab 亀田です。

講座を頻繁に開いていた頃、ある「予期せぬこと」に何度も遭遇しました。 それは「子育ての相談」を受けることでした。

写真ワークショップ、WordPress、すごい学び方など、子育てとは関係のないワークショップでも、「亀田さんが開催するなら行こう。そして、子育てについて質問しよう」ということで、参加された人が、何人もいらっしゃいました。

P.F.ドラッカーは、「予期せぬ成功、失敗に注意を払いなさい。それは、イノベーションの鍵だから」と強調していました。そのようなこともあり、 試作品として「パパ・ママのためのラーニングファシリテーション」 というオーディオ教材を作成しました。

私も二児の親(もうすぐ、三児ですが)として、子供との関わり方を考えるきっかけに収録しました(詳しくは、ページ末尾で紹介しています)。

忙しさもあって、どこにも発表せず、収録したことを忘れていましたが、相変わらず、「子育て」には関心があります。


ラーニングの仕組みがわかると、良さがわかる

最近も、ある方から「応援メッセージ」をいただきました。その方は、二児の母をされている方です。お仕事は整体師をされています。

またママさんたちに対して、抱っこ紐のワークショップなども開催しており、チーム学習の設計方法を学ぶために「といリブ・ティーチャープラン」に申し込みをされました。

その方は、

を聞くことによって、「人がどのように学んでいるのか?」が理解できたそうです。つまり、私たちの教育の根幹である「学習の定義、メカニズム」が理解できたそうです。

すると、、、


ほとんど、怒ることがなくなった

「子供に、ほとんど怒ることがなくなりました」

と報告をしてくれました。

これには、とても共感します。なぜなら、私も、子供には、ほとんど怒ったことがありません。子供に聞いてみたところ、「2回ぐらいかなー、覚えていないけど」と言われました(現在、小学校2年生)。

私たちが「怒る」時は、裏側に期待があります。なんらかの期待があって、その期待が叶わないんじゃないか?と心配になり、不安になり、イライラします。しかし、「ラーニングのメカニズム」が見えていたら、「どうしたらいいか?」を考えることができます。

どうしたらいいか?を考えることは、前頭前野(つまり理性)を活用することになります。すると、イライラするよりも先に、様々なアイデア、思考が巡って行きます。

また、論理的に、『怒る(叱る)ことによって勉強をさせると、最終的には、そのツケを支払わされる(親も子も)』」ことが、わかるようになります。怒り(叱るということも含む)の害を理解していたのなら、もう怒る理由がありません。我慢というよりも、「怒りたくないから、怒らない」という状態になれます。

精神的な修行をする必要もなく、「ラーニング」が分かれば、ただただ、当たり前に「怒らない」「怒ってもしょうがない」「怒ることは、余計にラーニングが進まない」と自覚するがゆえ、怒らなくなります。


ラーニングがわかると「子育てが変わる」

世の中には、様々な「子育て本」があります。その全てを読んでいるわけではありませんし、どれが良い、悪いという評価をするつもりもありません。

例えば、有名なところでは、モンテッソーリ教育、シュタイナー教育があります。どちらが優れているか?ではなく、なぜ、それらの教育は大きな成果を上げているのか?あるいは、上がる子供と、上がらない子供がいるのはなぜか?

これらの問いにシンプルに応えられるようになるには、「統計ベースの科学」ではなく、認知科学以降の「モデルによる説明の科学」が必要です。つまり、心理学的な研究(統計が主な手段)ではなく、社会学、システム論などのアプローチが必要です。

そのような考えから、 toiee Lab では、「人の学習を、自己組織化する多段のフィードバック制御システム」として捉えています。かなりシンプルなモデルですが、その意味することを理解すると、ものの見方が一変します。

子供を観察して、「今、どのようなレベルの学習が起こっているのか?」などを分析できるようになります。


どの教材が良いのか?

では「ラーニングの科学」という観点から有名な教材ついて考えてみましょう。最初にお伝えしておきたいのは、「どれがいい」という判断はありません。そうではなく、「いかに使うのか?」や、効用と限界を知ることです。

どんな方法にも「効用」と「限界」があります(もちろん、toiee Labの科学的なラーニングのモデル化についてもです)。

まず最初に取り上げたいのは・・・・と書いたのですが、意図がうまく伝わらず、批判しているように伝わったら良くないので、原稿はボツにしました。

(その代わり、「毎日が学びと発見」のオーディオで公開します)

とにかく、重要なポイントは、4つです。

  1. 子供が、内発的動機づけ(純粋な興味)を持って取り組むか?
  2. 目に見える学力に親が喜ばないこと
  3. 直線的な学習の限界を知っておくこと
  4. 学び方は、対象と習熟度によって変化させるもの

です。


内発的動機づけが重要

私自身、親になって驚いたのですが、最大手の家庭学習用の教材は、それぞれの学校区の教科書を入手し、それらを予習、復習するように設計されています。その細かさには、学校関係者にスパイでもいるんじゃないか?と思うほどです(実際にインタビューしたり、しっかりと調査をしているのでしょう)。

ある日の授業参観では、先生が「今日は、〇〇について授業します」と言ったら、数人の子供たちが「もう□□□で勉強したー」と答えていました(小学校一年生だと、思ったことをすぐに口にしますね)。

このように、この有名な教材を家で行なっている子供達は、「授業前に知っている」結果、授業は余裕を持って受けています。ちょっとサボっても、先生の説明が悪くても、無事に成績が残せています。

同様に、ある有名な教室型の教育なら、小学校二年生でも「英語の助詞は、can will」と覚えていたりします。また、算数では掛け算を終え、割り算を終えとなります。もう少し年齢が上がれば、線形代数ぐらいはやるのでしょうか?もしくは、初歩的な微分・積分の計算ぐらいはやるかもしれません。

このような進捗は、親として誇らしいかもしれません。

しかし、もし「やらされている」のであれば、それは害になります。つまり、子供が

「数字って面白いな」 「不思議だな」 「便利だな」

とか感じて、色々と学びたいとなり、どんどん学んでいるうちに、学ぶこと自体が報酬になっていれば、問題はありません。

しかし、「宿題と教材をしなさい。やったらおこずかいをあげます」など、外発的動機づけをしていると、、、、学ぶことは「何かを得るため」となります。

この状態では、脳は「省力化」をしようとします。つまり、短絡的に結果を出すこと、しかも目の前のわかりやすい結果を出そうとします。それが続くと、ある一定の学力レベルまでなら、効率よく授業を「表面上で理解」して、成績もそこそこ良い状態が作れます。

しかし、「外発的モチベーション」で動くことに慣れてしまうと、本当に脆いです。結果が見えなかったり、高い目標を前にすると、尻込んだり、短絡的な方法を繰り返すことになります。

なぜなら、外発的モチベーションで勉強した子供達は、「外発的モチベーションで学ぶことしか、学ぶ方法として知らない」からです。

「もう寝なさい」と言っても、本を読み続けたり、何かに没頭し続けるようなことがないと、これからの変化の時代にはついていけません。その根底には、「内発的」「好奇心」による学習が「当たり前」であることが必要です。


目に見える学力に親が喜ばないこと

先の話の通りです。

つまりは、権力がある(本当はないと思った方が健全ですが)「親」がしっかりする必要があります。親が、目の前の成績、漢字のテストの点数、算数の点数について、気にしないことです。

他の子供達と比べて「遅れている」とか考えないことが大切です。私が小さい時と違って、今は「予習教材や教室」が充実しています。そこに通っている子供達は、当然リードしています。我が子が遅れているのではなく、単に他の子供達が「その分野で、前を行っているだけ」です。

大切なことは、

「一人一人の子供が、前よりも伸びているか?」 「どのように学んでいるのか?」 「学ぶこと自体を楽しめているのか?」 「世界を好奇心でキラキラした目で見ているのか?」

が大切です。

親が、目に見える学力に喜べば、子供は応えたいと思って、ますます「目に見える学力をあげよう」と頑張ってしまいます。もし、親が学校の成績を気にせず、子供達が興味を持ったものを追求することを手助けし、ちょっとだけ「興味をそそる質問」や「知識の体系に目を向ける質問」や「例題」などを出してあげられれば、子供達は、知らないところで成長します。

それに覚えておいて欲しいことがあります。

レオナルド・ダ・ビンチの言葉らしいのですが、「すべての知は、つながりあっている」のです。例えば、電車についてひたすら探求すれば、「数学」「漢字」「物理」「心理学」「デザイン」「歴史(アメリカの鉄道と産業発展などは面白い)」に通じます。

私たちの身の回りには、「知識の集積結果」が製品やサービスとして並んでいます。スマホも裏側を除けば、驚くようなことになっています。そういう「見て、触れて」のところから、学べます。また、微積分も学校で習うような例外ではなく、コンピューター登場後を前提として学ぶべきです。

そして、それは、「誰もがパソコンを持てる時代」になったからこそ、興味を追求して、到達することができます。


直線的な学習の限界を知っておくこと

これからの時代、私たちの子供達が生きる世界は「変化」と「複雑性(自分も含まれた複雑なシステムの一部という意味)」のある世界です。

この世界では、次々と「学び変化」することと、つまり新しい何かを生み出すことが求められます。これまで以上に、クリエイティビティが重要になります。しかし、これは悪いことではなく、「楽しいこと」です。

波乗りするサーフィンや、風をうまく利用して進むウィンドサーフィン、スキーのような感覚です。つまり、ある一定のスキルが手に入れば、「楽しくてしょうがない」世界でもあります。

このような世界においての「スキル」は、まさに「学ぶこと」であり、「知識」です。

しかし、知識は「専門的なもの」と「多様なもの」の両方が必要になります。この点については、私が論じなくても、有名な人たちが嫌という程論じています(LIFE SHIFTもその一つです)。

子供達が学校のカリキュラムで学ぶことは、とても直線的です。先日、参観に行ったところ

「いくつ分が3つあると・・・」

という大人でも「???」と思う表現を使って先生方が説明していました。

恐らくは、代数に繋げるための布石なのでしょう(xやyのこと)。数年前に円周率をわかりづらいから3.14ではなく、3とするとした謎の方針を思い出しました(そもそも3.14でもないので、意味はない)。

現場のある先生は、子供達に「できるようになって自信を持って欲しい」と言っていました。

もしかしたら、教育に携わる人たちは、転ばないように、間違わないようにすることが「自信を持たせることにつながる」と思っているのかもしれません。自信とは「何かができているから」というものでは、困難にぶつかれば、ポキッと折れてしまいます。

自信とは自己受容です。

つまり、「全力を出して取り組んで、結果がどうあれ、自分を認められると知っていること」です。あるいは「必ず成長する(人と比べず、自分なりに)」と知っていることです。

また、そもそも学校教育の目的は自信を持つ手段にするのではなく、純粋な興味、関心、ワクワクによって取り組むことを、経験させることにあると、私は考えています。

そうすれば、自信なんて考えることすらありません。(興味関心、好奇心が強ければ、自信云々言う前に行動します)。

昨今の教育全般は、「直線的に、ステップ by ステップ」で進み、脇道をさせません。すると、脇にあった思わぬ知識を手に入れることができません。それは、物事の根本に関わる知識かもしれないのに・・・です。

例えば、私は人工知能の研究者だったにも関わらず、企業との共同研究でコンクリートについて、色々と学びました。必要はなかったのですが、扱っていた問題でコンクリートの補修があったので、つい興味で調べていました。

それが、のちにブレイクスルーの証拠を見つけ出すのに役立ちました。

これからの時代に必要なものは「知識」です。そして「知識は直線的に細長くつなげるものではなく、網目のように広く広く広げておくこと」が必要です。そうすれば、どんどんいろんなものが網にひかかります。

学校の授業には限界があるし、昨今の教育サービスも、それを助長(わざとではなく、システムとして当然の振る舞い)しています。

ドラッカーの言葉を借りれば「成功による失敗」です。


学び方は、対象と習熟度によって変化させるもの

さて、ずいぶん話が長くなってしまいました。

ほとんどの人は、「自分がどう学んでいるか?」について、注意を払ったことがないと思います。質問されれば、「答えられる」と思います。では、「なぜ、そう学んでいるのですか?」と聞かれたら、得意分野なら答えられるかもしれません。

しかし、「じゃぁ、その学び方を不得意分野でも行なっていましたか?」と聞くと、大抵の人は「・・・・」となります。

私たちは、何かを学んでいる時、「学び方について注意を払う」ことは、学んでいないのです。しかし、もし注意を払うことを学べば、学ぶ速度が大幅にアップします。

私たちは、これを「メタ探求型学習」と呼んでいます。

さて、「学び方」に注意を払って、何かを学び続けれて振り返ればよくわかりますが、「学び方は、対象の習熟度と、自分の変化のよって、刻々と変わる」ものだということです。

例えば、最初は「言われた通り、盲目的に繰り返す」が必要な分野があるかもしれません。しかし、その方法でずっと学ぶことでは限界がきます。ある一定のところで、学び方を変化させないと、次のレベルには進めません。

このように「学び方を変えること」を子供達が体得していることが望ましいです。

なぜなら、私たちも含め、子供達は「一生新しいことを学び続ける時代」に生きるからです。このようなものの見方を明瞭に理解するには、「学習のメカニズム」を知ることです。

それが、ラーニングの科学です。

もちろん、限界はあります。ラーニングの科学、ラーニング・サイエンスを知っても、「具体的に何をどうしたらいいか?」は、ケースバイケースになります。現場で考え、実行する必要があります(ただし、プロセスは明瞭)。


パパ・ママこそ、ラーニングを学んでほしい

私も一人の親として、切実に思うことがあります。より多くのパパ・ママがラーニングを学べば、もっと子供達が生き生きする!と思っています。

子供が学ぶ様子を、一緒に喜べると思います。

これから、チーム一丸となって「ラーニングを学ぶ会」を実施したいと思っています。まだまだ、準備に時間がかかりますが、是非、一緒に学びましょう。

追伸:

ところで、私は渾身の力を振り絞って「パパ・ママのためのラーニング・ファシリテーション」というオーディオ教材を作りました。もう1年以上前のことです。

ところが、忙しくて、どこにも発表せず、お蔵入りさせました。

「耳デミー:毎日が学びと発見」をスタートさせる時、過去のオーディオを整理していたら、「おぉ、こんなものがあったか!」と出てきました。

これは、是非聞いてほしいと思い、「耳デミー:毎日が学びと発見」にセットで付けました。

Web寺子屋2015 の「パパママ・LFT」から視聴していただけます。

期間限定で全公開しているので、少し聞いてみて良さそう!と思ったら、


へ、ご参加ください。

ともに学びましょう。


亀田

追伸2:

子育てではなく「ラーニングの設計」に興味がある方は、以下をどうぞ。